40年前の新聞記事
南寛康がみなみらんぼうになって、来年で40年が経つらしい。今日ある雑誌の取材を受けて、その事を知った。このようなことは本人より周辺の人たちがよく知っている。「来年で40周年ですね」と言われたが僕は「いやそんなはずはない。ちょっと前に30周年記念コンサートをやったばかりですよ」と答えた。そのちょっと前からもう10年経ったようである。
ふと、デビューしたころを思い出してみる。まあ、デビューなんて言葉も古いなあ、アイドルタレントみたいだ。39年前だし「僕は山口百恵さんと同期なんですよ」なんていうとみんな目を丸くする。あのころは年に500〜600人も新人がでて、その中の一人が僕だった。選挙でいえば泡沫候補。地盤、看板、鞄のどれもがないという脆弱な新人だったのである。ましてや「ウイスキーの小瓶」で世に出た時は29歳だった。うーん、当時僕は『29歳の敗者復活戦』と呼んでいたっけなあ。
いってみれば僕はその敗者復活戦を、完勝ではなかったにしろ、傷つきながら這いあがった。一歩一歩歩くような速度が、このときから養われたことはむしろラッキーだった。みなみらんぼうがジワリと芽を吹いた。
「ウイスキーの小瓶」は実体験の切れ端を結ぶようにして描いた。作為を入れず、ありのままの気持ちにメロディーを乗せた。当時フィリップスレコードの金杉正美デレクターがこの歌に全体重を乗せ、歌の上手な彼はレコーディングで、コーラス部分を自分で歌ったりもした。「この歌は絶対に売れる」の信念サポ−トがあって、この歌が世に出た。1970年代はまだ信念が通じた時代だったのである。

「ウィスキーの小瓶」が出た時、スポーツニッポンのコラムに「この歌を支持する」というような内容の記事が出た。この記事のことは忘れられない。小西良太郎さんが描いた小さなコラムだったが、初めて僕がマスコミに取り上げられたのがこの記事だった。僕は最寄り駅に走り、新聞を10部買った(当時コピー機は一般的ではなかった)。売店の女性は「何が載ってるんですか?」と言い、眼を丸くしていた。スポニチの記事で僕は初めて客観的に僕を批評した記事を見た。「田舎の文学青年が、今音楽青年になった」と書かれていた。どこか気恥しくくすぐったい思いがした。[初心を忘れず頑張れ]と結ばれていたので、僕は暗記するほど繰り返し読み、涙ながらに頑張ろうと思ったものだ。歌も批評もこうして人を元気づけるものでなくちゃ。
それから39年が経った。先日「戸山喜雄とデキシーセインツ」のコンサートを聴きに行った。「ルイ・アームストロングとたどるジャズの歴史」の第5回目。僕はこの5回とも全部を聞きにいっている。数年前の1回目の後、僕は当時連載していた日経新聞のコラムに、戸山さんのコンサートのことを紹介した。「中高年の紳士淑女が集まる、小粋なジャズスポット」という内容の記事だった。この記事を戸山さんと奥様の恵子さんは、大変喜んで下さった。また、この記事は読者の評判も良かった。そんなこともあり、僕が聞きに行くたびに舞台に呼んで下さり「いつぞやは有難うございました」とお客に紹介して下さる。そんなことはないのである。ほんの小さなお手伝いでしかなかった、と思うのだ。ただちょっとだけこうも思う。僕が駅に走り、10部買った40年前の新聞の話とちょっと似ているかも、と。39年もの時を経て、今度は僕が書き手になって出した記事に、戸山さんたちが喜んで下さったのだとしたら、これも典型的なスロライフの一つだと言ってもいい。
そう、歌も記事も人を勇気づけるものでなくちゃ、ねえ。今回は一句だけ。


つづく
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