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みなみらんぼう 青春の道標
青春の道標
日本経済新聞に連載されたものです。
 「テネシーワルツ」を聴いたのは、十歳の時、昭和二十九年だった。
この年南海の孤島で、水爆実験の放射能を浴びて、ゴジラが生まれた。
 中学一年で母を亡くした僕の耳に、それまで聴こえなかったカテゴリーの音楽が聴こえ出した。
ブルースとジャズである。
人生の陰りの部分が少し見え出したのかも知れない。
 しかし、僕はテネシーワルツ以来のポップス少年であり、母を亡くした年でさえ、エルビス・プレスリーの「監獄ロック」に、
同じぐらいのショックを受けていた。
 音楽好きだったが、音楽の成績は悪かった。
歌も決してうまくはなかった。
中学二年の音楽の授業が終わりかけた頃、女教師のA先生が言った。
「今度県の作曲コンクールがあるの。どなたか作れる人がいたら、ふるって応募してみて。可能性はためさなきゃ駄目よ」
 この言葉が家に帰って思い出された。
技法を無視し、推敲もろくにしないなぐり書きのような歌を作った。
 A先生に差し出すと「あなた、めちゃくちゃな譜面ね。こんなんじゃ読めないわ、ここで歌ってみて」と言われた。
職員室の他の先生もいる中で、僕は、真赤になって自作の歌を歌った。
調子が狂った。
「まあ、ひどいわね。ほら、ここが違っているでしょう」
 先生はそういって、音楽室へ僕を連れて行き、ピアノで弾いて、さらに加筆したので、もう僕の作った歌なのかどうか、
自信がなくなった。
「でも、見所があるわね。これから沢山作んなさい」
 結局僕の作品は、県のコンクールには出されなかった。
僕もどんな処女作だったか、もう覚えてない(笑)。
しかし、見所があるわねという言葉が頭の端に残っていた。
二曲目を作ったのは、それから六年後二十歳になってからである。
たぶん、小さなほめ言葉が、眠っていた僕の才能を呼び覚ましたのだろう。
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